検索SEARCH

ARTISTS

Yoshishige Saito

斉藤義重

1904-2001(明治37年~平成13年) / 日本

齊藤義重「鬼」油彩・合板
1957年(神奈川県立近代美術館)

東京に職業軍人の子として生まれ、少年期は不自由ない裕福な暮らしを送った。中学時代に岸田劉生「麗子像」に感動、美術を志す。セザンヌやゴッホらの作品に親しみ、油彩で風景画や人物画を描く。1918年陸軍幼年学校の入学受験に失敗。1920年16歳の時、東京で開催されたロシア未来派の亡命作家の展覧会に衝撃を受ける。村山知義やヨーロッパの前衛美術にも注目する。反絵画的思考を持ち始め、既成概念に捉われず様々な素材を用いて制作。25歳の時にダダイズムの思想を知った。二科会を経て、前衛的傾向の強い「二科九室会」の結成に1938年参加。翌年には前衛美術団体「美術文化協会」に加わり抽象作品を制作した。
戦争と病のために長い沈黙の時期が続いた。1954年千葉県浦安に移る。1957年の日本国際美術展における「鬼」のK氏賞(神奈川県立近代美術館賞)受賞が契機となり、日本美術界の一線に再デビューした。1959年第5回サンパウロ・ビエンナーレ出品、1960年第30回ヴェネツィアビエンナーレ出品、グッゲンハイム国際美術賞展優秀賞。1960年から64年にかけて、電動ドリルを使って点や線を油絵具で着色した合板に直接刻みつける「ドリルワーク」を展開。1970年代から80年代にかけて、二次元的な壁に掛ける「絵画」を脱し、絵画でも彫刻でもない立体の造形によって三次元の空間を獲得した。
日本の前衛絵画の草分けの一人であり、独自のスタイルは次世代の共感を生んだ。約10年間教鞭を執った多摩美術大学では、研究室から「もの派」を代表する作家たちを輩出している。

RECOMMEND

SEARCH