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ARTISTS

Auguste Renoir

オーギュスト・ルノワール

1841-1919 / フランス

オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
油彩、キャンバス(パリ、オルセー美術館)

フランス中南部の陶器の産地リモージュに、仕立屋の6番目の子として生まれる。3歳の時に一家でパリへ移住。1854年13歳で陶器の絵付工場へ従弟奉公に出るが、産業革命の影響で職を失う。日除けや扇に装飾を施す仕事に携わるうちに画家を志すようになった。1862年21歳で官立美術学校へ入学。アングルの弟子グレールのアトリエに入り、モネ、シスレー、バジールらと親交を結んだ。フォンテーヌブローの森での戸外制作をともにし、のちに印象派となるグループを形成する。1864年サロン初入選。はじめクールベ風の写実主義を示すが、徐々に画面の明るさが増し、マネやドラクロワなどの影響を受けながら筆触や構図を変化させた。
印象派展には1874年の第一回から出品。戸外や室内、木陰に揺れ動く光と影の効果や、若い女性の肢体の美しさを色彩的に表現する技巧を体得する。まばゆい陽の光と輝くような生命力、温かな官能性に満ちた独自のビジョンを確立し、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」「舟遊びの人々の昼食」などの傑作を生み出した。
1881年40歳の時、イタリア旅行フィレンツェ派やテッツイアーノ、ラファエロらの古典絵画に触れる。視覚による対象の分析、解体を突き詰めた先に、自分の絵から物のフォルムや質感が消えることを恐れて、印象派の技法に懐疑的になる。デッサンの価値を重視し古典的伝統の研究に向かった1880年代前半から後半にかけては、「アングルの時代」と呼ばれる。人物像は様式化され、寒色系の作品が目立つようになった。
深刻な芸術上の危機を経た後に、1890年代に入ると、みずみずしい質感と豊かな色調を持った作風が復活。真珠のように絵肌が輝き、形態と色彩とがよく調和した女性の豊満なヌードを多く描いた。1907年以降、彫刻にも関心を深める。
生きる喜びと描く喜び、幸福な感情が、常に画家の芸術の源泉にあった。晩年はリュウマチが原因で車椅子生活を送り、麻痺した指に絵筆を縛り付けてキャンバスに向かった。

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