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ARTISTS

Albert Marquet

アルベール・マルケ

1875-1947 / フランス

アルベール・マルケ「夜のポン・ヌフ橋」
油彩・キャンバス 1935-39年(パリ、ポンピドゥー・センター)

フランス南西部ボルドーに生まれる。自然や港を眺め、絵を描く事が好きな子どもだった。15歳の時本格的に絵を学ぼうと、鉄道員だった父親の反対を押し切り、母親とともにパリに出る。1892年国立装飾学校に入学、夜間クラスで生涯の友となる6歳年上のアンリ・マティスと知り合う。国立美術学校で再び出会い、象徴主義の画家ギュスターヴ・モローの下でともに学んだ。2人でルーヴル美術館に頻繁に通い、街に降りてスケッチを積んだ。
1901年には、アンデパンダン展やサロン・ドートンヌ展で、マティスらとともに強烈な色彩とうねりを伴った激しい筆触による絵画を発表していた。1905年のサロン・ドートンヌ展で、彼らの作品は「フォーヴ(野獣)」と呼ばれ世評を集める。生来穏やかで落ち着いた性質であった画家は、やがてフォーヴィスムから離れた。微妙なニュアンスの灰色や薄い青や緑の色合いを基調に、震えるような筆遣いで、物静かでやわらかな印象の風景画を描くようになった。
セーヌ川が流れるパリの眺めを、生涯にわたり深い愛着を持って絵にする。1900年から1910年までの画家として歩み始めた最初の時期、ほとんどパリに住み続け、アパートの窓から見える光景を飽かずに写した。1930年には、すべての窓がセーヌ川とポン=ヌフに面したアパルトマンの一室を買って終の棲家としている。季節や時間、霧、煙、雨、雪、霞によって表情を変える生きたパリを、澄んだ中間色の世界で表現した。特に灰色の使い方は巧みで、「マルケの灰(グリ)」と称される。
ルーヴル通り、サン=ミッシェル橋、ポン=ヌフ、ノートル=ダム大聖堂。セーヌ川とともに街の建物や橋、通り、自然の姿が、俯瞰するような角度で繰り返しシンプルに捉えられた。また、小さな人物、船、馬車、乗り合いバスが、洗練された簡潔な筆致でちりばめられ、画面に動きが生み出されている。「生命のない点は描かないようにすべし」という葛飾北斎の言葉を好んだ画家は、対象を素早く観察し、単純化して、迷いのない的確なタッチで軽やかに表現した。
大の旅行好きでもあった。特に、1919年から一般にも作品の人気が高まると、大規模な国際展に招待されて世界各国を訪ねるようになった。ヨーロッパ各地以外に、北アフリカ、ソ連、トルコなどにも足を運び、水辺のささやかな風景を描いた。
同時代の画家からも尊敬を集めたが、勲章や絵の売れ行きなどの世俗的関心には興味を持たず、穏健な日々を過ごした。

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