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Camille Pissarro

カミーユ・ピサロ

1830-1903 / フランス

カミーユ・ピサロ「小枝を持つ羊飼いの少女」
油彩、キャンバス 1881(パリ、オルセー美術館)

デンマーク領西インド諸島にユダヤ系フランス人の貿易雑貨商の三男として生まれる。11歳の時にフランス本国にわたり、寄宿舎学校で5年間学ぶ。1852年デンマーク人の画家フリッツ・メルビとベネズエラに行き、初めて画家として生活。1854年に帰仏し、翌年のパリ万国博覧会でコロー、ドービニー、ルソー、ディアズの作品に心酔、その後しばしばコロー本人を訪ねる。
1859年サロンに初出品で入選。同年夏、アカデミー・シュイスでモデルによる人体デッサンを学び、モネやセザンヌと知り会う。一方、当時のアカデミズムに対しては真っ向から対立する姿勢を示した。1863年、サロンに落選した多くの画家たちの抗議を受けて開催された落選者展にも3点を出品している。
1869年にパリの西ルーヴシエンヌに移り、近くに住むモネやルノワールと一緒に戸外にキャンバスを持ち出して制作。3人ともパリのカフェ・ゲルボワの常連となり、そこでマネやドガと出会う。のちに印象派といわれるグループを形成する。1870年に普仏戦争が勃発すると、戦禍を避けてモネとともにロンドンに逃れ、ターナーらの作品を研究した。ドービニーを介して画商ドュラン=リュエルと知り合う。1872年に帰国後ポントワーズに滞在し、田園風景と農民生活を主題に制作した。
1874年第1回印象派展の主要なメンバーとなり、1886年の最後の展覧会まで全8回に欠かさず参加した唯一の画家である。温厚な性格で画家仲間からの信望が厚く、芸術上の様々な刺激を与えあった。ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンら若い世代の前衛的な仕事にも共感を寄せた。1885年頃か90年まで、スーラやシニャックの影響で新印象主義の点描画法を試みるが、晩年はこの画法を放棄している。

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