検索SEARCH

ARTISTS

Jean-Francois Millet

ジャン=フランソワ・ミレー

1814-1875 / フランス

ジャン=フランソワ・ミレー 「落ち穂拾い」
油彩・キャンバス 1857年(パリ、オルセー美術館)

ノルマンディー地方の寒村グリュシーに、敬虔なカトリックの農家の長男として生まれる。画家になる夢を早くに抱き、1833年19歳の時、シェルブールでグロの弟子に素描を学ぶ。1837年奨学金を得てパリに出た。ドラローシュのアトリエではアカデミックな教育になじめず、ルーヴル美術館でプッサンやティツィアーノら巨匠の研究に励んだ。
1839年から独立して肖像画、風俗画家としての活動を開始、翌年に肖像画がサロン初入選。同年、最初の妻ポーリーヌと死別するとシェルブールに戻り、コレッジォとロココ絵画に影響を受けた“華やかな手法”による人物画、神話画を描く。農家の娘カトリーヌと再婚、パリでの再出発を目指した。この時期の作品には、農民風俗画とドーミエ風の筋骨たくましい裸体画が混在している。
二月革命が起こった1848年、無審査のサロンに「箕をふるう人」と「バビロン捕囚」を出品。当時のもっとも進歩的な人々の間に大きな反響を巻き起こした。後者が不評をかい、前者が好評のうえ新政府首班に買い上げられたため、歴史画を捨て農民画に転換する決意を固める。
1849年バルビゾン村に移住、終生の住まいとした。バルビゾン派の画家たちと交わり、自然主義の理想を共有しながら、ともに制作した。1850-51年のサロンに「種をまく人」(山梨県立美術館、ボストン美術館)を出品、賛否両論を招く。この時期、1850年代の実直で英雄的な農民像から、次第に田園情緒を濃く表した牧歌的農民画へと作風が変化、世評が高まっていった。自然の中で労働する人々の厳粛な姿やその運命を、抒情的なタッチで描いた。
1867年、パリ万博で代表作が特別陳列され、巨匠としての名声を確立するに至る。翌年にはレジョン・ドヌール勲章を受け、70年にはサロンの審査員となった。

RECOMMEND

SEARCH