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ARTISTS

Gustave Courbet

ギュスターヴ・クールベ

1819-1877 / フランス

ギュスタヴ・クールベ「画家のアトリエ」
油彩・キャンバス 1855年(パリ、オルセー美術館)

スイス国境に近い、フランシュ・コンテ地方のオルナンの富裕な地主の長男として生まれる。18歳で王立高等中学校に進み、地方画家フラジューロに師事して本格的に油絵を学んだ。1840年父親の希望で法律を学ぶためにパリに出るが、すぐに学業を放棄。画塾アカデミー・シュイスに通いながらルーヴル美術館でヴェネツィアの絵画やスペイン絵画、16~17世紀のオランダ・フランドル絵画を模写研究、自然主義の精神を学んだ。伝統的な油絵の技法を、若くして完璧に体得する。
初期作品には、ロマン主義的な心情表現と、オランダ・フランドル絵画独特の明暗効果の影響が明らかで、すでに客観的な把握に対する志向も認められる。1844年「黒い犬を連れたクールベ」がサロン初入選。1845年サロンに送った5点のうち1点が入選、翌年も1点入選。1847年オランダへ招かれレンブラントやフランス・ハルスの作品に接し、深い感銘を受ける。1848年と49年のサロンに7点ずつを出品。特に49年出品のオランダ室内画の影響が強い「オルナンの昼休み」(リール美術館)は、ドラクロワの注目をひいて政府買い上げとなった。
批評家シャンフルーリや詩人ボードレール、思想家フーリエら当代一流の知識人と交わり、政治的問題にも強い関心を抱いた。あらゆる制度的な権威づけに反発し、絵画の理想化を廃して卑近な日常の現実に目をむけた。1850年の暮れから51年にかけて開かれたサロンに出品した9点のうち、「オルナンの埋葬」をはじめとした3点に非難が集中する。とある埋葬に集まった無名の労働者や農民の姿が、大画面の歴史画に等身大に描かれた「オルナンの埋葬」。絵画における階層秩序を乱すとして、ブルジョワジーの反感を買った。大多数の保守派とごく一部の批評家から成る進歩派の間に、激しいレアリズム論争を引き起こす。
1855年友人の知識人から社会の最下層の人々までが描かれた「画家のアトリエ」(オルセー美術館)が、「オルナンの埋葬」とともにパリ万博出品を拒否されると、会場前に小屋を建てて「写実主義」と称する個展を開催。1866年のサロンに「女とおうむ」(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)他を出品して、初めて世間的な成功を収めた。
1870年レジョン・ドヌール勲章の受章を拒否。普仏戦争の敗北で第二帝政が倒れ共和政府が樹立すると,美術家連合の会長となる。翌年パリ・コミューンに参加。敗北の結果、ヴァンドーム広場のナポレオン記念円柱破壊の責任を問われて逮捕され、監獄に抑留された。1873年には無実にもかかわらず財産没収にあい亡命を決意、スイスのレマン湖のほとりに落ち着く。1877年帰国を果たすことなく亡命先で没した。

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