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ARTISTS

Paul Cézanne

ポール・セザンヌ

1839-1906 / フランス

ポール・セザンヌ 「りんごとオレンジ」
油彩・キャンバス 1895-1900 (パリ、オルセー美術館)

南仏のエクス・アン・プロヴァンスに裕福な銀行家の子として生まれる。のちの自然主義作家エミール・ゾラとは中学校時代からの親友。1857年マルト修道院内の素描学校に入学。アカデミックな技法と形態を学び、風景画にひかれた。父親の強い希望によりエクスの法科大学に学ぶも画家を志して中退、ゾラに勧められて1861年22歳でパリに出る。アカデミー・シュイスに通い、カフェ・ゲルボワの常連たちとも知り合った。なかでも9歳年長のピサロと親しくなる。国立美術学校の試験に失敗し、一旦エクスに帰る。翌年以降はパリと故郷を往復して絵画制作に取り組んだ。パリ生活でドラクロワ、ドーミエ、クールベ、マネの作品を知り、特にマネからは強い影響を受けている。サロンのアカデミズムを否定したが、1863年の落選展でマネの革新的な画風に共感し出展を開始、1882年に初入選。初期の10年間は、厚塗り絵具で対象を荒々しく描き、重苦しい感情を第一に表現しようとした。
1870年普仏戦争勃発に伴いレスタックに移動。1872年ポントワーズのピサロの元に滞在、秋に近くのオーヴェールに移る。この時期、ピサロからの強い感化でロマン主義的な性向が規制され、明るい色彩を使った風景画を描くようになった。印象派展には1874年と1877年に出品。印象主義の理論の方向性に違和感を抱いて後は参加せず、ルーヴルの傑作群に匹敵する堅固な絵画の創造を目指すようになった。
1870年代末から1880年代にかけて、特に故郷エクスで制作した「サント=ヴィクトワール山」や「水浴する人々」の連作、りんごをモデルにした静物画などにおいて、独自の作風が発展した。画家は“自然への感動(サンサシオン)”を芸術の中心に据えなくてはならないと繰り返し語った。眼前の自然を見据え、その空間の厚みをいかに形態と色彩に還元するかを追求。モデルを多数の視点から捉え、深い色調の絵具の塊をキャンバスに厚く塗り込めた。その結果、絵画空間は歪み、対象の量感が強調され、細部は抽象的ながら全体は具体的で奥行きを持った確固たる画面が構成された。
エクスに隠って美術界から孤立したが、1880年代末頃にナビ派の若い画家たちに注目され、1895年に画商ヴォラールがパリで開いた初の大規模な個展で名が一気に広まる。1904年65歳の時には、画家に敬意を表したサロン・ドートンヌによって特別陳列室が設けられた。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい」。ベルナール宛の手紙で画家が述べたこの言葉は、キュビスムが絵画における平面と空間の両立を探究する理論的根拠となるなど、後進に多大な影響を与えている。

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