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ARTISTS

Amedeo Modigliani

アメディオ・モディリアーニ

1884-1920 / イタリア

アメディオ・モディリアーニ 「座るジャンヌ・エビュテルヌの肖像」油彩・キャンバス
1918–19年(ニューヨーク グッゲンハイム美術館)

トスカーナ地方リヴォルノの由緒あるユダヤ人一家に生まれる。母親や母方の祖父の影響もあって1896年自ら絵の勉強を始める。1898年リヴォルノの美術学校に入学、イタリアの印象派画家グリエルモ・ミケーリに師事。1900年17歳の時に結核と肋膜炎を併発し、療養のため南イタリア、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを旅した。伝統的なイタリア美術の豊かな世界、特に14世紀シエナ派のティーノ・ディ・カマイーノの彫刻に大きな感銘を受ける。
フィレンツェ、ヴェネツィアの美術学校で学んだ後、1906年にパリに出てアカデミー・コラロッシに入学。芸術、文学、哲学などの深い教養を持ち、ピカソ、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・ドラン、藤田嗣治ら、前衛画家や詩人と親しく交流。モンマルトルに住んだ。1907、1912年にはサロン・ドートンヌ展、1910、1911年にはアンデパンダン展に出品。1909~1915年頃までは、アフリカ、オセアニア、アジア、中世ヨーロッパなど、幅広い文化圏の民族美術の影響を受けた彫刻作品も作っていた。
著名な画商ポール・ギヨームの勧めもあって1915年頃から絵画制作に専念。1916年画商ズボロウスキーと専属契約。絵画のほとんどは肖像画と裸婦像で、代表作は1916~1919年に制作が集中する。人物の造形は、細長くしなやかに引き伸ばされた顔と首、塗りつぶされたアーモンド型の目など、一目で画家のものと判る独自の様式に洗練されていった。
1917年美術学校の学生だったジャンヌ・エビュテルヌと知り合い同棲を始める。同年、生前唯一の個展を開催。1919年婚約するも、貧困と肺結核の苦しみから酒と薬物に溺れる荒廃した生活が続く。1920年結核性髄膜炎により35歳で死亡。ジャンヌも後を追い、2日後飛び降り自殺した。
ジャンヌをはじめ、画家仲間や詩人たち、無名の市井の人々が、絵画のモデルを務めた。対象を理想的な型へと単純化し、前衛的でモダンな表現を追求する一方、画家は、イタリアや古代の美術の伝統とその精神性を尊んだ。描かれる人間像は、哀愁に満ちた表情と気品あるフォルム、優美な曲線を持ち、内面的な奥深い魅力もたたえる。
生前は少数の愛好家や画商に名を知られたが、死後評価が急激に高まった。画家の際立った美貌も相まって、その生涯は伝説化され続けた。残された油彩は300点前後のみといわれ、現在、エコール・ド・パリを象徴する最も人気ある芸術家の一人に位置付けられる。

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