検索SEARCH

ARTISTS

Maurice de Vlaminck

モーリス・ド・ヴラマンク

1876-1958 / フランス

モーリス・ド・ヴラマンク 「赤い木のある風景」
油彩・キャンバス 1906~07年(パリ、ポンピドゥー・センター)

パリの貧しい音楽家の家に、三人兄弟の末子として生まれる。少年時代は両親の希望でヴァイオリンを習い、17歳になると独学で絵を描き始めた。18歳で結婚、20歳前に父親になる。競輪選手、機械工やオーケストラの一員として生活。20歳当初は、自転車レースのチャンピオンとして名を知られた。1900年24歳の時、アンドレ・ドランと偶然出会い、共同でアトリエを借りて、絵画に真剣に取り組むようになった。1901年ベルネーム・ジュヌ画廊での「ヴァン・ゴッホ」展で、強烈な生命感を持つ作品に接し、「その日私は、父親よりもゴッホを愛した」と語る。ゴッホを崇拝し、チューブから出したままの原色による、激しく爆発するような色彩を用いるようになる。

自分の才能のみ信じる徹底した自由主義者で、絵画の上での伝統や流行に断固として抵抗しようとした。1905年ドランやマティス、ルオーらのグループに参加し、4月のアンデパンダン展に続いて11月のサロン・ドートンヌ展に出品。伝統的な規範から外れた作品が並んだこのグループの一室は 「野獣の檻」と批評され議論を巻き起こしたが、最も激しい非難を浴びた一人だった。対象物の固有色から切り離された鮮烈な原色、大胆に歪んだフォルム、荒々しく激しい動きを持った筆触。印象派が好んだ主題と同じものを描きながら、内面の激情と野性を感じさせる画法で対象に烈しく迫った。

1906年、画商ヴォラールがアトリエにあった全作品を6000フランで買い取る。1907年にはヴォラールの画廊で初めての個展を開く。作品の評価は高まった。1908年にフォーヴィスムから離れ、セザンヌの影響から構成的な要素を画面に取り入れるようになり、色彩の主役は沈んだ茶褐色に変わっていった。第一次大戦前の一時期、キュビスム的な実験も試みている。1920年以降、深さと重みを感じさせる黒が主要な色調となる。激しい情念を内に秘め、ドイツ表現主義に通じる厚塗りの作風へと変化した。

佐伯祐三が1924年の最初の渡仏の際に、里見勝蔵に連れられて画家のアトリエを訪ね、強い衝撃を受けた逸話はよく知られる。

RECOMMEND

SEARCH