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ARTISTS

Takeo Yamaguchi

山口長男

1902-1983(明治35年~昭和58年) / 日本

山口長男「脈」
1968年(昭和43年) 油彩、合板 (静岡県立美術館)

京城府(現・韓国ソウル)に大地主の子として生まれる。1921年19歳で日本に渡り上京、本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事。川端画学校を経て、1922年20歳で東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。1927年卒業後、同期生の荻須高徳とともに渡仏。在仏中の佐伯祐三や、ピカソ、ブラックらのキュビズムに大きな刺激を受け、彫刻家ザッキンのアトリエにも出入りした。
1930年日本経由で京城に帰る。白地に明快な色彩を配し、自然を単純な形態と色面に還元して描いた、抽象的な作品を制作し始める。1940年まで10年以上にわたって、京城での半農半画家の生活を続けながら二科展に出品した。
1938年二科会の前衛的傾向の作家同士で集まって九室会を結成。この時期、画面の背景には白地以外が採用され、より記号化された抽象的形態が描かれるようになる。1945年補充兵として釜山近辺に配備となり、そのまま終戦を迎えた。1946年44歳で再び上京。二科展再結成に尽力し、1962年まで出品を続けている。
素朴で迫力ある独自の抽象世界は、1950年代に成立した。正方形の合板に黒系の地色を塗り、その上に単純化された形態の色面を大きく配した。色面の部分には、温かみのある黄土色か赤茶色系の絵具が使われた。特に黄土色は、画家が生まれ育った朝鮮や大陸の豊穣な大地を思わせる。ペインティングナイフの筆触を何層も重ねて作った色面には、堅牢なマチエールが充実し、触覚を強く呼び起こす。独特な有機性と生命力を持った作風で、戦後日本の抽象絵画を代表した。
1953年日本アブストラクト・アート・クラブの創立に参加、54年に会員としてニューヨークでのアメリカ抽象美術展に出品する。55年に第3回サンパウロ・ビエンナーレ、56年に第28回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として出品。グッゲンハイム賞美術展、チューリッヒ市立美術館の「現代日本の絵画展」など、国外での活躍も広がった。

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