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ARTISTS

Maurice Utrillo

モーリス・ユトリロ

1883-1955 / フランス

モーリス・ユトリロ「コタンの袋小路」油彩
キャンバス 1911年(パリ ポンピドゥー・センター)

パリのモンマルトル・ポトー街に生まれる。母親は、旅の曲芸師や職業モデルののちに画家となったシュザンヌ・ヴァラドン。シュザンヌが18歳の時に生んだ私生児で、父親は不明。知人のスペイン人ジャーナリストが認知し、ユトリロ姓を名乗る。少年時代は成績優秀だったが学業を嫌い、14歳頃から酒を飲み出し放浪癖もあった。学校を中退し銀行に就職するも数ヶ月で解雇される。1901年18歳の時、アルコール中毒の治療のためサンタンヌの精神病院に入院。対症療法として絵筆を握るよう主治医に勧められた。間もなく絵の虜となり油絵具を使い始める。

1903~1908年は、セーヌ左岸やパリ郊外のモンマニーなどの風景を、写生に基づき暗い色調で描いている。ピサロやシスレーの仕事に近く、「印象主義の時代」と呼ばれる。

1909年頃から絵画の舞台は、深い愛着を持ったパリの街角に移る。モンマルトル界隈の庶民的な街並や建造物の壁を白やクリーム系の色で描く「白の時代」が1914年頃まで続いた。サクレ=クール教会の白亜のドームなど、教会や聖堂のモチーフを特に好んだ。重厚な構築物はしばしば画面いっぱいに大きく描かれ、その直線的な骨格が作品に明快な論理性を与えている。この時期の絵画を最も特徴づけるのは、時とともに風化して複雑な陰影を持った古い白壁の存在感である。絵具に糊や砂、ブラン・デスパーニュと呼ばれる白墨を粉末にした材料を混合して、漆喰の物質感を効果的に表現する工夫がなされている。

当時のパリは、印象主義に続いてフォーヴィズム、キュビスムなど、20世紀初頭の新しい美術が胎動し始めていた。孤独な画家は、どの流派にも所属せずアカデミズムとも無縁だった。夜になると放浪と泥酔を繰り返し、幾度も精神病院に閉じ込められた。破滅的な実生活の一方で、絵画に向かう姿勢は真摯であり、特に「白の時代」の作品は、静かな詩情と敬虔な感動が満ちている。

1913年30歳で初個展を開いて大成功を収めた。1915~1919年頃は、黒い輪郭の建築学的な線が描かれる「クロワゾン(仕切り)の時代」で、大きなお尻の太った女性がたびたび登場。素朴な表現が目立つ。画家の名前は年々ポピュラーになり、流行作家として富と名声も獲得した。1920年頃から晩年にかけての「色彩の時代」には、画面に明るさや多彩さが加わっている。

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