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ARTISTS

Yayoi Kusama

草間彌生

1929-(昭和4年~) / 日本

草間彌生「ネット・アキュミュレーション(部分)」油彩
キャンバス 1958年(大阪、国立国際美術館)

長野県松本市の旧家に生まれる。幼少の頃から激しい幻覚や幻聴をしばしば体験。反復強迫への不安や恐れ、抑圧から放たれるため、内面から溢れ出るイメージをひたすら絵にしていた。1948年19歳で京都市立美術工芸学校4年最終過程編入、翌年卒業。この頃にはカボチャのモチーフが現れる。1952年初個展を松本で開催。信州大学の精神科医西丸四方が作品に注目、日本精神神経学会で広く紹介される。1954年東京での初個展。1955年頃には最大の恩人というジョージア・オキーフとの文通が始まった。
8年がかりで母親を説得した末に1957年28歳で単身渡米、米国での初個展をシアトルで開催。翌年アクション・ペインティング全盛のニューヨークに移り、極端な貧困状態に陥る。1959年プラダ画廊でニューヨーク初個展「オブセッショナル・モノクローム」展。巨大な真黒のキャンバスを何万もの微粒子の白いネットで満たした「無限の網」を発表。中心のない画面に網目、水玉のパターンの偏執的な反復を集積・拡大し、自己と他者をその無限のなかにオブリタレイト=消滅させていく。作品への完全没入を誘発する新しい表現はセンセーションを呼ぶ。1964年「ドライヴィング・イメージ・ショー」はヨーロッパへと巡回、大きな注目を浴びた。アンディ・ウォーホル等のポップ・アートにも刺激を与えている。1962年”箱のアーティスト”として知られる前衛美術の異才ジョゼフ・コーネルと出会い、1972年の彼の死まで親密に交際した。
1965年からパフォーマンスの形態をとった大胆なハプニングを敢行、活動の場をヨーロッパに拡大。ヴェトナム戦争を背景に反戦や反体制、反道徳の性格を強めた。1968年自作自演監督映画「草間の自己消滅」が第4回国際短編映画祭ほかで受賞。1975年体調を崩し、拠点を日本に移す。1978年初めての小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』を刊行。
1993年第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表。1996年「草間弥生1950年代、1960年代の作品展」で米国での評価が再燃。1998年東京都現代美術館にも凱旋した大回顧展「Love Forever: YAYOI KUSAMA 1958-1968」でリバイバルが決定的に。2004年森美術館での「クサマトリックス」は52万人動員。2012‐13年国立国際美術館ほかで「草間彌生 永遠の永遠の永遠」開催。欧米回顧展がテート・モダン(ロンドン)、ホイットニー美術館(ニューヨーク)へ巡回。現代美術の文脈に大きく関わり、高級ブランドとのプロジェクトでイメージ浸透を拡大させるなど、草間評価は全世界を舞台に沸騰し続ける。
自らのコンプレックス、精神の病との闘いを創作の源泉にしながら、永遠の愛と生と芸術の究極の高みを欲する力強いエネルギーが、同一パターンで繰り返される作品群に充満する。2004年~2007年「愛はとこしえ」、2009年~「わが永遠の魂」など新たな絵画シリーズにも旺盛に取り組む。2014年個人美術館が開館予定。

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