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Takako Araki

荒木高子

1921-2004(大正10年~平成16年) / 日本

荒木高子「頽廃の記録」
1984年(昭和59年) 磁土、シルクスクリーン

兵庫県西宮市で、華道未生流宗家の10人兄弟の次女として生まれる。家元であった父・荒木白鳳の死後、15歳で家業の家元代行を継承し、20年以上にわたりその任務を務める。1950年頃からはガラス・オブジェの制作をはじめ、1952年からは須田剋太に師事し、絵画を学ぶ。また、関西でおこった美術運動にも関わりを持ち、1956年、35歳の時には自分の勉強と前衛芸術家たちの作品発表の場を兼ねて、画廊の経営を始める。この画廊は、父の名前をとって「白鳳画廊」と名付けられ、女性の経営者が前衛美術を専門に取り扱うという、当時全国でも例をみないものであった。しかし、4年後に経営難で閉廊、1961年に渡米。ニューヨーク・スチューデンツ・リーグで彫刻を学び、その後、フランス、スペインにも滞在する。

1962年に帰国後、西宮市の自宅に窯を築き、本格的に陶芸の制作を開始。チューブを切ったような黒陶の作品や、石膏型で成形した球体にシルクスクリーンで新聞や写真を転写した「プリンテッド・ボールズ」を経て、1978年頃、荒木高子を代表する「聖書」シリーズが誕生する。以降、荒木は生涯にわたって「聖書」を作り続けた。その後、1979年に第37回ファエンツァ国際陶芸展(イタリア)で第2席を受賞、1982年第5回インド・トリエンナーレ展に出品(買い上げ賞)、同年ヘッチェンス美術館(デュッセルドルフ、ドイツ)、ベルギー王立美術館(ブリュッセル、ベルギー)、ローザンヌ市立装飾美術館(スイス)で個展を開催した。また1987年からはアメリカで制作や個展の開催、大学でのレクチャーを行うなど、国際的に活躍。国内では、1996年に回顧展「荒木高子展 -いきざまを焼く-」(西宮市大谷記念美術館)、2011年に「荒木高子展 -心の深淵に迫る-」(兵庫陶芸美術館)が開催され、注目が高まっている。

「聖書」のシリーズは国内外で高く評価され、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、東京国立近代美術館、国立国際美術館(大阪)をはじめ、甲南女子大学(兵庫)や関西学院大学図書館(兵庫)にも作品が所蔵されている。宗教に強いこだわりを持っていた親や兄弟の軋轢から、宗教に問題意識を持ち続けたことがきっかけとなり、作家の個人的な心情から生まれたという「聖書」シリーズであるが、「人間」と「宗教」という壮大なテーマを投げかけ、国籍や文化を超えて人々に訴えかける作品群となっている。

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