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ART FAIR TOKYO 2016 作品紹介 | 草間彌生

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# ART FAIR TOKYO # 草間彌生

アートフェア東京2016の NUKAGA GALLERY の出品作品から注目の作品を紹介します。
今回紹介しますのは、世界のトップ・アーティストの一人、草間彌生の作品です。
日本ではベネッセハウスミュージアムの「南瓜」(1994年作)が有名ですね。

草間 彌生 Flower 1985
草間 彌生 Flower 1985 wood, canvas, spray paint, synthetic fibre and mixed media

インフィニティ・ネット(INFINITY NET)が描かれた黒いボックスに咲く大輪の花
エナジー、いまにも噴出しそうな…
凝縮した、痛みを内包し、でも溢れ出そうとする無限のエナジー

 

草間彌生は、1972年に最愛の人、ジョセフ・コーネルに先立たれ体調を壊して、
傷痕のうちに15年間住み慣れたニューヨークを離れて帰国します。
その後1982年から1995年にかけてボックス・アートを制作しました。ボックス・アートの巨匠コーネルへのオマージュも込めて。
ただコーネルのようなガラスで覆われた静謐でノスタルジックな作品ではなく、内なる声がボックスの中に木霊しています。
そして深く沈潜していたエナジーが膨れ上がり飽和状態に達しつつあるような、張り詰めた緊張感が漂います。
他のボックス・アートのタイトルを見てみましょう。「人をしたいて」(1985年作)「冬」(1985年作)「傷心」(1994年作)…

 

草間は幼少より幻覚を見るが、絵を描き続けていくことにより超克できるようになります。
それはドットやネットで対象を覆うことにより実体を消滅させるという作品へ、
即ち対象と同化(自己消滅)していくことへと展開していくことになりました。
草間は1958年にシアトル経由でニューヨークへ、そこでネットの大作そしてソフトスカルプチャー、
環境彫刻(エンバイロメンタル)へと発展して、彼女の作品は高い評価を受けるようになります。
やがて60年代後半にはドットでボディペインティングし他者と同化していくハプニングへと進みます…他者との交感を求めて。

草間 彌生 Spirit Going Back to Its Home
草間 彌生 Spirit Going Back to Its Home 1975 Collage with pastel, watercolor and ink on paper

それが、1973年の帰国後、一転して内面へと収斂して個へと戻っていきます。
1973年~75年にかけて制作したコラージュ作品の深淵に向かう小宇宙はその切実さで心を奪われます。
「ねぐらにかえる魂」(1975年作)…全面が暗い鳥の写真のコラージュ、でも中央に鳥が羽ばたく夕映えの空が覗く、
誰の魂が何処へ帰るのだろう。
この構成と色感の見事さに感嘆する。
草間の作品がすばらしいのは、叙情性に流されることない強く的確な構成と煌く色彩にもあるのでしょう。
共生を見失い他者との交感の絆も薄れて痛々しい、でも「ラヴ・フォー・エヴァー」の歌が響き続けています。

 

ボックス・アート作品の制作後、1989年のニューヨーク国際芸術センターでの回顧展を皮切りに、
草間の活動はヴェニス・ビエンナーレ(1993年)の日本代表、そして「ラヴ・フォー・エヴァー草間彌生」(1998年)
ロサンゼルス・カウンティ美術館他へと大きく展開し、全世界が草間との交感を希求していきます。
草間も、おおらかに「ラヴ・フォー・エヴァー」と謳うようになります。
世界をインフィニティなネットとドットで覆い尽くしていきますが、以前のような何か得体のしれない外界と対峙する
個としての震えを表現するというのではなく、信じられないほどの軽やかさを見せて
「ハーイ、コンニチワ!」(2004年作)と答えるようになります。
全人類との交感を求め、無限の広がりをみせて、「宇宙の心」(2002/2004年作)、「無限の宇宙(TOWEY)」(2007年作)へ、
豊穣な宇宙へと広がっていく境地へと辿り着くのです。
草間は切実な自己表現(自己消滅)から出発し、全人類との交感を求め、
今やユニヴァースな広がりを見せる世界観にまで到達しました。
こんなにも自らに忠実に生き表現を続けていて、絶えず同じ所に留まることがなく
広大な思念を持つアーティストは稀有ではないでしょうか。

 

この「FLOWER」(1985年作):まさに偉大なアーティスト草間彌生、ターニングポイントの時期の珠玉の1点。
By  T・KURO

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