参照図版の「作品Ⅱ」(1956年作)も同じ頃の作品であり、黒、赤、黄の3色のみで天翔ける龍が描かれているが、闊達な筆使いによる力強い画面でありながら染み出すような情動の深みの中に取り込まれそうになる。
この年、家庭生活と作家活動との板挟みの葛藤の中、彼女は家庭を捨てて離婚する。その2年後、意を決しアメリカに旅立つ。ロスアンゼルス、そしてニューヨークへ。
さて、再度「モーヴF」の作品を眺めてみよう。
抽象画という一面的な見方を受け付けない絵画。
彼女が求めたのは、彼女にとっての本源のイメージを探ろうとしていたのではないだろうか。
彼女が渡米した頃は「ミニマルアート」全盛のニューヨーク、ではありながら彼女にとっての描くことの必然は、構成的で理知的な抽象を追い求めることではなく、自らの規定されていない内なるイメージを構築すること、それはとりもなおさず古代の神話にテーマを求めていた時からの根源的な命題でもあった。彼女が描いてきた初期から抽象に至る作品全てに共通する張りつめた緊張感と情動の発現は同質のものだ。
不定形で鋭角な形のせめぎ合いには、彼女の情動が立ち現れてきて、その揺らぎようがこの作品の魅力でもある。
それにしても1960年頃のニューヨークにあって、草間彌生も桂ゆきも、汲めども尽きぬ表現への渇望感を持って一筋縄ではいかない抽象画を描き、その情動に突き動かされながら先へと進んだ。
そして芥川沙織もだが・・・1963年に建築家、間所幸雄と再婚、1966年に妊娠中毒症にて死去。
亡くなる前年に制作された「モーヴF」、この揺らぎのイメージの先に見えてくるのは何であったのか。
By T-KURO