Kenzo Okada岡田謙三

1902-1982(明治35年~昭和57年) 日本

神奈川県横浜市に生まれる。実家は貿易業を営んでおり、幼い頃からヨーロッパへの憧れと美術に対する深い興味を抱いた。19歳の時、牧師からジャン・フランソワ・ミレーの話を聞いて感銘を受けたのを機に、川端画学校に通って画家の道を志す。1922年東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学するものの、1年半後に中退。フランスへ私費留学し、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールでデッサンを学ぶ。海老原喜之助や藤田嗣治と交友し、キスリング、ジャコメッティ、ザッキンらの刺激を受けた。1927年に帰国して二科会に所属。西洋近代絵画の影響の下、憂愁をたたえた甘美な女性像や風景画を描いて人気作家となったが、1950年48歳でアメリカに移住。ポロックやロスコらの抽象表現主義が席巻し、世界的な美術の中心地であった当時のニューヨークで、新たな絵画の模索と挑戦を始めた。
画風は次第に具象から抽象に近づき、日本の伝統的な美意識への独創的解釈を画面上にうかがわせるようになる。繊細で機微に富むマチエール、淡く深みのある色調、単純で不明瞭な形を組み合わせた構成などを特徴とした自身の様式の到達点を、画家はみずから「幽玄主義(ユーゲニズム)」と名づけた。
1953年アメリカで最初の個展を開き、以後ニューヨークと東京を拠点に活動。数々の国際展にも出品し国際的な名声を獲得した。

岡田謙三「ナンバー2」油彩・キャンバス 1954年(ワシントンD.C. フィリップス・コレクション)

閉じる