NUKAGA GALLERY

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2019年.03月.05日 Tuesday

ART FAIR TOKYO 2019 作品紹介 | 菅井汲

NUKAGA GALLERYはアートフェア東京2019で菅井汲、堂本尚郎、今井俊満の作品を展示いたします。
その中でもご注目頂きたい、菅井汲 Noiseをこちらでご紹介させて頂きたく、ぜひご一読頂ければ幸いです。

blog_菅井汲_Noise_1959_oil on canvas_146x114cm

菅井汲, Noise, 1959年

黒く塗られた部分まで筆致がわかるほど厚塗りの画面。はっきりと刻まれた短いストロークの反復はアーティストの息継ぎさえ感じられます。
この作品が制作された1950年代、人類が悲惨な戦争を体験したことで、近代的合理主義に対する否定の美術の一つとしてアンフォルメルという美術運動が幾人かのアーティストにより生み出され、ヨーロッパを席捲していました。パリでは本作品の作者である菅井汲や堂本尚郎、今井俊満が新鋭のアーティストとして注目されており、堂本と今井はアンフォルメルの中心的な存在でした。菅井は自身の作品をアンフォルメルとして公言することはなかったようですが、厚塗りで作者の存在感を定着させた画面という点で3人の作品に共通性があります。しかし、菅井の作品は堂本や今井の作品に見られる動的で弾けるような生命感とは反対に、静かな世界の中に力強さが感じられます。

blog_Hiaso Domoto_Work_oil on canvas_129.5 x 88.0cm_1959(Nukaga Gallery)               blog_今井俊満_1959_mixed media on canvas_38.4x46.7cm

            堂本尚郎, 無題, 1959                                 今井俊満, 無題, 1959

菅井汲は1919年神戸で生まれ、小学生の頃から油彩に親しみ、阪急電鉄就職後はポスター作家として活躍しました。戦争を経て1947年、「日本画とは何か」という疑問とともに日本画の世界に興味をもち、中村貞以に弟子入りしますが、旧態依然とした日本画の世界に失望し1年程で中村の門を離れ、前衛画家吉原治郎に指導を仰ぎ油彩に転向します。
しかし二科展では落選を重ねるなど日本の洋画界ではほとんど評価されず、ポスター作家としては既に関西で名をはせていたものの、渡仏する決心をします。

出来れば二年位滞在して生涯の仕事であるシュールレアリズムとアブストラクトをくっつけた仕事を日本画に如何に表現するかを追求して、狭いといわれる日本画の世界に新しい分野を開拓してみたい。また海外生活を通じて日本人のよさを再認識してみようと思う。」(毎日新聞神戸版、1952年2月10日)

菅井は1952年に渡仏、グランド・ショミエールのゴエルグ教室で堂本や今井と出会い、翌年には今井俊満、田淵安一、ヴァロールスと4人展を開催します。
同年、評論家シャルル・エティエンヌの組織した展覧会「第2回サロン・ドクトーブル[Salon d’Octobre]」(クラヴァン画廊、パリ)に出品し、パリで注目されるきっかけとなります。
1954年に初個展を開催(クラヴァン画廊、パリ)、55年には「第40回カーネギー国際美術展」(ピッツバーグ)に出品し、そこから国際展への出品を精力的に続けました。今回ご紹介しているNoiseは第5回サンパウロ・ビエンナーレ(1959年)の出品作です。普遍性と東洋的な繊細さを両立させた菅井の作品は異国の地でたちまち高い評価を受けることになります。

菅井汲_女

, 1952

菅井汲0004

日本の庭, 1955

菅井汲0002

, 1955

1950年代後半から菅井の作品には太い描線や〇□△といった記号的な要素が繰り返し登場するようになり、色調も以前の複雑で繊細なものから単色使いへと変化しています。

菅井汲0001    菅井汲0003     菅井汲0005

                 , 1958                        黒い雲, 1961                      紫の鬼, 1962

1963年以降は更に大きく転換します。以前の厚塗りで深く刻まれた筆跡は消え、画面はフラットでムラなく塗られています。大きな塊やS字が繰り返し登場し、描線も真っすぐ機械的にひかれています。これ以降、色彩はますます限定的になり、また、記号的要素は幾つかのユニットを組み、作品に繰り返し登場しました。

菅井汲0006  菅井汲0007  菅井汲0008

      午後のオートルート, 1964           ハイウェイの朝, 1965                  10秒前, 1967

菅井が「日本画とは何か」という問いをもって最初に日本画を選択したように、彼の制作のもとにあるものは常に日本人としての自己のアイデンティティの確認でした。そして渡仏後はその絵画観はより深化し、描くこと=人間存在の確認となります。戦後のパリを共に過ごした今井俊満も『私の生きた戦後のパリは、描くことは生きることと同じであった、いわば、最もロマンチックな生の昂揚期であったといえる。』と残しています。
第二次世界大戦で敗戦を迎え、海外へ飛び立った菅井や今井、堂本に共通する50年代の厚塗りにストロークを刻んだような仕事は、自己や人間の根源的なものを探る採掘のような作業であったのかも知れません。
日本人とはなにか。生きものとはなにか。
60年代以降、菅井がそれまでとは逆に同じ記号の繰り返しや作者の存在感を消した表現に特化したこともまた、根源的なものを求める故に余計なものを削ぎ落とした結果だといえます。

菅井の生きた痕跡を眼前に、当時に想いを馳せながら菅井になったつもりでご覧頂くと、
より一層作品世界に近づくことが出来るのかもしれません。

参考文献:
『菅井汲展』東京都現代美術館、兵庫県立近代美術館、2000年、菅井汲展実行委員会
『SUGAI 菅井汲:作品集1952-1975』、1976年、株式会社美術出版社
『画集 今井俊満』、1975年、株式会社 求龍堂

By Aya

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